Core Harmony Blog
アイニカエル。アイカライキル。

「ダイアナ妃」が教えてくれるもの

8月31日は、ダイアナ妃の命日でした。

その日の20年前、偶然にも私はロンドンにいました。長期の出張でロンドンに滞在していたのです。

その日は、日曜日でした。

朝起きてTVをつけたら、そのニュースが流れていて、私は信じられなくて、「イギリス人は、正式なニュース番組でさえも、こんなスケールのブラックジョークを使うんだ」と真剣に思ったほどです。

その日の午後、街に出た時、もうすでに街中がその悲報に染まっていました。その光景を見ても、どんなニュースを読んでもそのことが信じられないまま、次の週末にケンジントン宮殿に出掛けていきました。その時、「本当かもしれない…」とその事実を受け入れ始めました。

葬儀が行われた時もロンドンに滞在していましたが、出かけずTVで見守りました。それでも、やっぱり目の前の映像が作られた映画のように思えて、真実として受け入れることが完全に出来ませんでした。

ダイアナ妃は、私の中で大勢いる憧れの女性の一人であって、日常の中で私にそれほど大きな影響を与えていた人だと思ってもいませんでしたが、あの日から20年経っても、あの時のショックを忘れられません。自分のハートに大きな穴が空いてしまったような、大げさでなく、強烈な喪失感を味わいました。

こんな風に、ダイアナ妃を失う世の中に、地球に…、私は住んでいるんだ…と、大げさでなく、とんでもない世界に自分がいる感覚がしました。

思い出している今も、それを感じています。

先日、ジャーナリングを書いていたら、こんな言葉が飛び込んできました。

「ハートからそのまま出る行動と、

頭がこれはハート的だと思ってする行動は、

目に見えるカタチは同じであっても、

それらは全くの別物である。」

これは、「カタチに騙されていはいけませんよ」というメッセージだと書きながら、理解しました。

ダイアナ妃のことを思えば、彼女の行動には、彼女のハートからのそのままの行動が多くあったから、自分の中にこれほどのインパクトを残してくれたのかもしれません。

伝統とか、規則とか、これは人道的だと言われる考え方の中で、彼女の行動は批判されることが多々ありましたが、それでも彼女の存在、そして行った行為には、愛溢れるものが多かったように思います。

ここ最近の私は、世間の良し悪しよりも、自分のハートがYESと感じるものしか、それをYESとしないように強く心がけるようにしています。

自分のハートの感覚を信じて、それにYESと言って行動していくことは、時に勇気を必要とします。

一般的に多くの人にとって、それが???と思うものである時、目の前の人に???という顔をされると、とても怖くなって、相手の価値観に合わせて話をしてしまうことがまだまだたくさんあります。

その自分に気づきながら、勇気を持って、自分のハートがYESということを貫き通せたらと奮闘しているのですが、まだペッシャっという感覚(これは良く昔のユーモアな漫画にあった車にひかれた人が薄っぺらのヒラヒラの状態で表現されるあの描写)になることがあるのです。

ここまで書いて感じたのは、ダイアナ妃は、自分のハートがYESということしか出来なかった人なのかもしれませんね。

その彼女の正直さ、純粋さに、ずっと私は無意識のレベルで、心を寄せていたのかもしれません。

ダイアナ妃が生きていた時代に、私も生まれ、生きて、出会えたこと。

このことを大切にしなければと、改めて思いました。

ダイアナ妃は、私にとっては、「勇気の人」。

彼女のエネルギーを自分のハートに寄せて、私も勇気を持って生きていきたいと思います。
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