Core Harmony Blog
アイニカエル。アイカライキル。

「置かれた場所で咲きなさい」

2016年に他界されたキリスト教カトリックのシスターで、元学校法人ノートルダム清心学園理事長だった渡辺和子先生が書いた著書は、これまでもよく読ませて頂きました。

彼女が書いた2012年に出版された
「置かれた場所で咲きなさい」は、200万部も売れたそうです。

私が最初に出会った彼女の本は、
「忘れかけていた大切なこと」という単行本。

「もう1歩の優しさ」と題されたエッセイの中でのエピソードには、私が目指すコミュニケーションのカタチが全て表現されていました。

花粉症で多くの人が悩んでいた頃のことでした。一緒に住んでいる修道院のシスターの一人が私に、「昨夜は鼻が詰まって、夜中まで眠れなかった」と話し、私は、それに対して、「あら、シスター、お薬はちゃんとお服みになったの」と答えたことがありました。答えて、別れた後で私は反省しました。なぜあの時、まず「辛かったでしょう」と言ってあげられなかったのだろうかと。



私が看護学校や現役の看護師さんに研修でお伝えする「思いやりの傾聴」の基本はここにあり、「お薬はちゃんとお服みになったの?」でなく、「辛かったでしょう」がまず自然と出てくる自分になるために、自分の中に「もう一歩の優しさ」を育てましょう、そのためにあなたは何が出来るでしょうか、と問い続けています。

そして、最近、「置かれた場所で咲きなさい」という言葉が自分の内側から何度も木霊するように響いてくるので、渡辺和子先生のこと、そして彼女が書いた数々のエッセイの内容を思い出して、その箇所を読み返す日々が続いています。

自分の人生を振り返ると、小さい時から20代にかけて、「置かれた場所で咲きなさい」なんて考えは全くなく、自分が置かれている場所よりも、出来る限り遠くへ遠くへと出かけることの方が興味深く、その遠く辿り着いたどこかの場所で花を咲かせようとすることに必死だったように思います。

でもいろんな流れがあって、30代後半で地元に近い場所に戻り、50代になった今は、終の住処となる場所をつくってしまったのですから、そんなこともあり、この「置かれた場所で咲きなさい」の言葉を自分に言い聞かせたいのでしょう。

考えてみたら、遠くに花を咲かせに行く生き方をしなくても、置かれ場所でしっかりと根を張って花を咲かせて、そして、「遠くへ」という意識があるのなら、その種を遠くまで飛ばす生き方をすればいいんだと、今朝ふと思いました。

そうしたら偶然にも、目の前の我が家のフェンスに、写真のように何かの種が顔を覗かせていました。

何だか、心がほっこりと暖かくなりました。

置かれた場所で、ぐんと根を張って、花を咲かせます。

そして、その花の種を、ぐんと近くにも、遠くへも飛ばします。

このように自分の生き方に指針ができると、心がとても軽くなります。

もう迷いがないところからつくり出されるこれからの人生がどうなるのか、自分ごとなのですが、とても楽しみにしているところです。

あなたは「置かれた場所で咲きなさい」という言葉を聞いて、何を感じるでしょうか?

何を感じても、そして何も感じなくても、この問いを自分に投げた時の反応を、大切に感じてみてください。

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