空虚感

fourclover
伊勢は、葉桜になりました。他の草木も芽吹き出し、エメラルド色のごとく輝く新緑の山々が大変眩しい毎日です。

皆さんはいかがお過ごしでしょうか?

皆さんの中には、ここ数年、自分の中に「情熱」というものがなくなってしまったと感じることが多くなった人はいませんか?

昔はあれほど夢中になってやれることがあったのに、最近は夢中になれるものが見つかっても、すぐに熱が冷めたり、興味があるもの自体が全くなくなってしまったと、空虚感を感じることが多くなった人はいらっしゃるでしょうか?

きっとこれまで夢中になれたものが多かった人は、それらのことを「やる(do)」ことで、何かしらの達成感を得ることができていた、だから今のような空虚感を感じると、「私は何をすべきか?何に夢中になるべきか?」と「やる」ことを探しては、これは違う、あれは違うとなってはいないでしょうか?

こんなときこそ、自分の中の情熱を探すための本を読んだり、ワークショップに出たり、何か新しいことを学びにいくことをしたくなります。でもその時は一次的に良くても、またすぐに心が空っぽになることを繰り返す人も多いと思います。

私自身もそうでした。私は、思い立ったら吉日ですぐに行動し、夢中になれるものもいっぱいあって、それを追いかけて情熱的にずっと生きてきました。

それがある時から、やりたいと思うことが出来なくなる流れが続いたり、自分の中からもやりたいと思うことが減っていき、これまでの生き方では全く通用しないような人生の流れの中にいる感覚で、このまま生きている意味もないのではないかと思ってしまうことが続きました。

それは数年続きましたが、このような時期を経て今言えることは、このことは、魂が次の段階へと成長するときに起こることなのだということがわかってきました。

これまでは周りから与えられたものの中で生きていればよかったのが、これからは自分で全て決めて生きていきなさいという人生のステージに入ったということも意味しています。

このような時は、あまり急いで夢中になるものを探したりしないで、腰を据えて、このプロセスを受け入れていく、ただ何もしないでもいいかというとそうではなく、自分の中のこの空虚感に向き合っていくことをしていくことが一番の近道になるのです。

この空虚感に向き合っていけばいくほど、自分が無くなっていく感覚がして、とても怖くなるのですが、そこへも怖がらず入っていく必要があります。

蝶々になる前の蛹の状態の時、一旦細胞が全て溶けていくと聞いたことがあります。

このとき、まず芋虫だった細胞を全て溶かして、蝶々になるための細胞に組み替えられるのでしょう。

ここで細胞が溶けても、芋虫だったときに持っているエッセンスは、蝶々になるときも受け継がれていきます。

モンシロチョウの芋虫が、蛹を経て、アゲハチョウにならないという原理と同じことです。

今、空虚感を感じている人は、この蛹に起こるプロセスのようなことが起こっているのです。

この時期は、今までの自分は何だったのかと思うほど、これまでのやり方、生き方が通用しなくなります。

自分の存在が無くなっていくようで、怖くて、また昔のような生き方へと戻ろうとしてしまいます。

でも、もう元には戻れないんです。

この時期こそグッと我慢して、自分だと思っていた自分を手放して、流れに身を委ねていくことが一番の近道になります。

このタイミングでこんな気持ちになるのも、このような人生の流れ、日常の流れになるのも、少し先に待っていてくれている「本当の自分」が、あなたを「今はここに目を向けなさいね」と語りかけてくれています。その「本当の自分」からの導きに、素直になっていくだけです。

こういう時は、周りの人と比べず、ただただ自分に起こるプロセスを信じて、自分の内側の声を信じて行動していって下さい。

みんなそれぞれにいろんなプロセスを経て、成長していきます。その流れは、唯一無二、1つとして同じプロセスはありません。だから周りと比べることは、無意味なのです。

私はこのプロセスに入ったときに、自分の内側の声と対話するために、
ジャーナリングを始めました。コア・ハーモニーのサイトにも、そのやり方を掲載していますので、ぜひ参考にして下さい。

この空虚感は、あなたの中に情熱がなくなったからでも、存在価値がなくなったからでもありません。

この空虚感は、あなたがいよいよ本当のあなたに出会い、本当のあなたでこれから生きていく方向へ向かっているからこそ起こっていることなんです。

こういう時は、どうか怖いと思っても、どうか自分の内側へ入る勇気を持って下さい。

このようなときにどうしたらいいか、全て自分は知っています。

こういう時こそ、自分を信頼して下さい。自分の内側に意識を向けて、自分の声を聞いて下さい。

この空虚感を感じきった先には、あなたがずっと出会いたかった(思い出したかった)、本当のあなたに出会えます。

心細い時は、またこのブログへいらして下さい。

独りでは決してないことを、どうぞ覚えておいて下さい。

あなたは、必ず、「あなた」に戻ります。

今はまさに、そこへ向かう道を歩いているのです。

どうか、このプロセスに入った自分を信じてあげて下さい。

ザリッチ宏枝

「そうなんだね」

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伊勢では、桜もピークを過ぎて、これから葉桜になっていく様子です。

この時期は、桜の木の下を歩くと、風が吹く度にピンク色で少し甘い香りのする花びらが舞い、その花吹雪に包まれ、幸せな気持ちになります。

皆さんは、今年はどのように桜を楽しまれたでしょうか?

こうやって自然界では、次から次へと木々や草花の芽吹きが起こり、開花していくエネルギーで周りが満たされていく中で、それとは逆行して、心は暗く、この時期こそ引きこもりたくなる人は実は驚くほどいらっしゃいます。

かつて、私自身がそうでした。特に、小学校高学年から30代前半までそうだった記憶があります。気温が暖かくなると、着る服もどんどんと薄くなり、体の露出が増えていきますが、そのことも何故か心を不安にさせていたようでした。

それは、秋が訪れると同時に、一枚一枚着る服を増やせていける度に安心感を感じていたことが物語ってくれます。

世間が明るくなっていくのと同時に、自分は隠れたくなる。そしてそんな自分を隠そうとして、明るく振る舞い疲れてしまう。

小さい頃から、そうやって心をかなり疲れさせていました。

そういう自分が嫌で、そういう心の状態になることから抜け出したい一心でしたが、今となっては、「そうなんだね。その自分を今はしっかりと感じていたらいいんだよ。」とその頃の自分に声をかけてあげたいと思えています。

コアハーモニーにご相談にいらっしゃる人は、今の現状からどうしても抜け出したくて、ここから何をしたら、何を変えたらいいかを見つけにいらっしゃる人がほとんどです。

でも、今の現状から抜け出す方法をまず探すよりも、今の現状を受け入れて、その自分をそのまま愛していけるようになると、何をしたらいいかの答えがすっと自分の中から出てきます。

あなたが今もし悩んでいて、今の現状からどうしても抜け出したいと思っているのなら、そうやって悩んでいる自分の心を抱きしめて、「そうなんだね」と言葉をかけてあげて下さい。

今はそれ以上、何もする必要はありません。

ただただ、「今」を受け入れる。

「本当の自分」の声は、いつも「そうなんだね」とあなたを全受容するエネルギーであなたを包み込んでくれます。

それ以外の声は横に置いて、今は自分を暖かく見守ってあげて下さい。

それが悩みから抜け出す、まず一歩です。

ザリッチ宏枝

「予祝」

shunnbun
「予祝」という言葉をご存知ですか?

私は、今日初めて知りました。

致知」をいう雑誌を6年ほど前に定期購読するようになった当初、ある号にに出ていた北川八郎氏に感銘を受け、その時はしばらく彼の書籍に触れたり、ブログを読んだりしていました。

しばらく私の中で疎遠になっていましたが、今月の「致知」に北川八郎氏が再び登場されていて、ふと今日サイトに伺ってみたら、ポッドキャストを始められたと知って、早速最近のものを聞かせて頂きました。

そこで、「予祝」のことを語られていました。

それは、「どん底を祝う」いうことです。

人生、最悪の状態で、このまま生きていてもいいんだろうかと思ったとき、このどん底の感覚を祝い、これから良くなっていくんだと信じていくこと、もっと良くなっていくんだとそれを求めることをしなさいと、いうことを教えていただきました。

このお話との出会いが、あまりにタイミング良く、驚いてしました。

この3連休、何か特別なことがあったわけではないのに、ある瞬間から「私の人生には何もない」という「”ない”探し病」と自分でつけている感覚が湧き上がってきて、どうしたものかなと、自分を観察していたのです。

「本当に、この生き方で良かったのだろうか?」

「私は、なんの価値もない人間なのではないか?」

「もう今更、遅いのではないか?」

先日、「
私は愛されている」というブログを書いた張本人がこのような調子ですから、救いようがないというか、「あなた何をしているの?」という感じです。

私はこのようなとき、無理にポジティブに考えたりせず、とことん「どん底」を味わうようにしています。

それは、自分を信頼できるようになったからかもしれません。

これらのネガティブな感覚が、なんらかの理由で今表面化していることを受け止めて、その感覚を思う存分出してあげれば、後は自然と向くべき方向へと向かっていくとわかるようになったからでしょう。

そうやって過ごした数日間を終えた後、こうして「予祝」という言葉に出会い、一気に勇気付けられた感覚になりました。

このような瞬間があると、だから「やっぱり愛されている」と思うんです。

「私は、やっぱり愛の中で生きているんだな」と思うんです。

見捨てられていない。やっぱり、全てはこの愛(アイ)の感覚を思い出すために起こっていると再確認させてもらうのです。

それは、私だけでなく、みんなも同じ条件の中で生きていると、私は信じています。

もしあなたが今人生の「どん底」を味わっているとしたら、ぜひその「どん底」の感覚を祝ってみてはどうでしょうか?

私も、あなたと共にいます。

私たちは、独りぼっちではありません。

ザリッチ宏枝

清らかさ

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先日、久しぶりに外宮さんへお礼参りに伺いました。写真は、外宮さんの古殿地(新御敷地)のその時の様子です。

いつもは早朝に伺うことが多いのですが、その日は午前10時半頃の時間帯で、平日にも関わらずたくさんの観光客の人達で賑わっていました。皆さんそれぞれに、この地にいらしたことを喜ばれている気が伝わってきて、こちらもとても楽しい気持ちになりました。

私は、アメリカでの暮らしからこの伊勢に戻ってきた11年前にやっと「日本」という国について深く感じたいと思うようになって、この地の伊勢神宮のことを深く理解したいと思うようになりました。

伊勢神宮の在り方から学ばせてもらうものはたくさんありますが、「人が成せることとは何か?」を一番体感を持って教えてくれたのはこの場所でした。

ミネソタ州の北部にバウンダリー・ウォーター・カヌー・エリア・ウィルダネス(以下BWCAWと省略)という、カヌーイストたちのために保護された場所があります。その区域内だけでも何百個も湖があって、幾つもの湖を渡りながら旅ができる場所があるのですが、そこで私は自然の素晴らしさを教えて頂きました。

伊勢神宮も自然が保護された素晴らしい場所です。でもただの自然が保護された場所、あるいは自然と共に生きている場所以上の「気」が流れていることを、ずっと疑問に思ってきました。

一体この気は、何だろう?

BWCAWでも、他のアメリカの大自然にいたときにも感じられなかったこの気は、何だろう?

「神さまが宿っているから」と答えることも出来ると思いますが、私はミネソタのその場所にも自分なりの「神」を感じました。「神はどこにでもいる」と私は自分の体験からそう思っています。

でも、伊勢神宮とBWCAWや他の大自然を感じられる場所とでは、やはり何かが違うのです。

その違いを考えていた時、ある日ふと思い浮かんできたのは、神宮の自然には「人」が深く関わっているということでした。

BWCAWもキャンプサイトの設置など人の手が入っていますが、そこに人としての「日々の営み」があるわけではありません。

でも神宮には、人としての日々の営みがあり、それが1日にも欠かさず千五百年以上と続いている。

人が当たり前のことを当たり前のこととして、黙々と淡々とやっていく、その営みから作り出されるものが、この独特な「気」を作り出すのではないかとある時ふと思ったのです。

この独特な「気」に形容詞をつけるなら、やはり「清らかさ」だと思います。

この清らかなエネルギーは、自然の中の木々や草花だけでは、そして動物だけでは作り出せない気であると思います。

地球上で唯一人間だけしか創り出せない気、エネルギーは、「清らかさ」。

伊勢神宮の参道を歩かさせて頂く度に、このことを思うのです。

私にとって伊勢神宮とは、人として、日々どのように生きたらこの清らかな気を創り出せるか?をいつも考えさせられる場所です。

先日伺った時も、そのことをとても考えてながらお参りさせて頂きました。

「清らかさ」のお手本となる場所が近くにあり、このように身近に体感させて頂けるのは、本当に有難いことだと思いながら歩かせて頂きました。

また今日も自分の居る場所に、この「清らかさ」を創り出せるように頑張りたいと思います。

ザリッチ宏枝

「私は愛されている」

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何か良いことがあると、自然と感謝が湧き上がってきたり、「愛されている」と感じたりすることが容易にできます。

でも、辛いことがあったり、体調を崩したり、急に不安な気持ちに襲われたり、不運だと思うようなことを体験している時には、この「愛されている」という感覚を持つことは、とても難しいことだと思います。

でも、辛い時こそ「愛されている」と感じることできたら、どんなに救われることでしょう。

ずっと以前に学んでいたアロマのレッスンで、「全ては愛の中で起こっている」という言葉に出会った時、心の奥底ではそれが真実だと反応しながらも、心レベルで納得するまでには時間がかかりました。

今では、「全ては愛の中で起こっている」と完全に信じることができるようになりましたが、これまで何度も辛いことがある度に、マントラのようにこの言葉を唱えていたことが懐かしいです。

「私の日常の中で起こる全てのことは、私の中の愛を思い出すために起こっている。」

そう思うことで、何度救われたことでしょう。

「愛がないから苦しんじゃない。愛があるから苦しんだ。」

そう何度、自分に言い聞かせたことでしょう。

本当によく観察していると、最悪だと思う状態の時でも、そこに救いが用意されています。

どんなに辛い時でも、「まだ、こうして生きている、生きていることだけでも、すごいことだ…」と思えたら、もう大丈夫です。

生きてもいたくないほど苦しくても、でもやっぱり生きている…。そのことが、本当はとても有難いことだと気づけたら、もう大丈夫です。

人は、自分の中で「愛されている」という感覚を持てることができたら、何が起きていても、心を強くしていられます。

「私は愛されている」

何か良いことがあったわけでも、誰かから愛される行為をされた訳でもなく、どんなに暗闇の中にいてもそう感じることができるように多くの人になってもらいたいと思っています。

「みんな愛されているんだよ!」と、地球上に響き渡るくらいに声を張り上げて叫びたいくらいです。

「みんな、愛されている」

これは、真実です。

ザリッチ宏枝