先日、私のインスタとフェイスブックに、こちらの内容をシェアさせてもらいました。
「尊いのは足の裏である」
仏教詩人・坂村真民の代表的な詩の1つ。
数年前に愛媛に行った時にどうしても伺いたかった「坂村真民記念館」(今年9月末に閉館されるそう…)で、ポストカードになったこちらの詩を見つけ、ずっとジャーナリングノートに忍び込ませています。
読む度に感動するのに、実行をすぐに忘れてしまう私。
このカードは生きているかのように、タイミングよく、私の前に現れます。
今朝もそんなタイミングでした。
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尊いのは足の裏である
尊いのは
頭でなく
手でなく
足の裏である
一生人に知られず
一生きたない処と接し
黙々として
その努めを果してゆく
足の裏が教えるもの
しんみんよ
足の裏的な仕事をし
足の裏的な人間になれ
頭から光が出る
まだまだだめ
額から光が出る
まだまだいかん
足の裏から光が出る
そのような方こそ
本当に偉い人である
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そして次の日、
私は、この「足の裏から光が出ている」人に、
思いがけないところで出会うことになりました。
その日は少し伊勢から遠出するために、
宇治山田駅に行きました。
乗車までに少し時間があったので、
駅のお手洗いを利用しました。
宇治山田駅のお手洗いは、
決して新しくもなく、モダンでもありません。
ものすごく古いわけではありませんが、
磨いても、きっとこれは磨ききれないのだろうと思うくらいの
積年の埃や劣化があるような、
まあ、普通の古めのお手洗い場です。
でも、その日お手洗いに入った途端、
その空間が隅々まで手入れされて、
丁寧にお掃除されているのが感じられるほどの
空間になっていました。
見た目が綺麗というよりも、
きちんと手入れが行き届いている、と感じる空間になっていたのです。
私はとても感動して、
ちょうどお掃除を続けていた清掃員の方に、
「とても、綺麗にしてくださっているのですね。ありがとうございます。」
と声をかけました。
そうしたら、その方は、うつむき加減でこちらをチラリと見ながら、
こんな言葉を発せられたのです。
「お客さまが、綺麗に使ってくださるおかげです。」
これまで生きてきて、聞いたこともないような言葉で、私は一瞬言葉を失いました。
私は何とかもう一度「あ、ありがとうございます」を言って、その場を後にしました。
その清掃員の方は、女性で、とても美しいお顔の輪郭をされていました。
目もとても澄んだ方で、キラリと光っていたのが印象的でした。
私よりも年上の方だと思うのですが、ただ多くの縦シワがたくさんあるお顔で、とても苦労してきた方なのかもしれないと想像できるお顔でもありました。
その後電車に乗り込み、さっき起きた感動の出来事を振り返りました。
その時、真民さんのこの「尊いのは足の裏である」を思い出しました。
「ああ、足の裏から光が出ている人に、今朝出会ったんだ。」
彼女が発した言葉は、言葉だけでなく、そこに乗っていたエネルギーも含め、
足の裏から光が出ている人しか発することができないであろう雰囲気を醸し出していました。
あのような場面で、あのような言葉が出てくる、
心の在り方を持てるようになるには、どう生きたらいいんだろうと、
考えさせられる出来事でした。
今はまだ、ただただ感動の余韻の中にいるだけの私です。




