久しぶりに、何度も読み返すことになる本に出会いました。
それがここでご紹介する土門蘭さんの
「ほんとうのことを書く練習」という本です。
この本との出会いも、
久しぶりに本屋さんに行って
目に飛び込んできた…というか、
私の全身がぐっと「掴まれる」という感覚になって、
手に取ってみた本でした。
購入を決める前に、
よくやる中身をぱらぱらっと見る行為。
自動的にそれをしている私がいましたが、
本を手に取った瞬間から
これはレジに直行だということがはっきりわかるぐらいの
雰囲気を醸し出している本でした。
読み進めてみると、
読んでいる私が過呼吸になりそうなほどの文章。
土門さんがご自分の心に真剣に向き合って、
丁寧に言葉を紡いで書いて下さっているのが、
しっかりと伝わってくる内容でした。
本の題名の如く、
ほんとうのことを書く練習のために
何をしたらいいかが書かれていますが、
私にとっては、
「生きるとは何か?」
「考えるとは何か?」
を深く考えさせられる本でした。
ずっと以前に、スー・モンク・キッドと言うアメリカの作家があるインタビューで発した、
私にとっては忘れらない言葉の意味につながる内容もありました。
それは、どうしてあなたの小説は多くの人の心に響くのか?と聞かれたスー・モンク・キッドが、
「自分の奥深く、それは宇宙とも言えるほどの奥底から、書くからかしら。そうすれば、そうするほど、多くの人の心に響くものを書ける、そう感じるの」
土門さんが「なぜ”唯一無二性”が”普遍性”に繋がるのか」
という箇所で、書いてくれたこの感覚と、それは同じだと感じました。
世界はのっぺりとした球体ではなく、
無数の個が寄り集まってできた歪な集合体である。
だから私も世界だし、
その人もあの人も世界だ。
よって、世界の一部である私の「ほんとうのこと」は、
世界の一部であるその人やあの人の「ほんとうのこと」と
つながる可能性がある。
私の「生きる」「考える」の純度が高ければ高いほど、
抽象度とともにその可能性はあがる。
その純度の高さが、文章の「普遍性」だと思う。
土門さんがおっしゃる「誰にも読ませない文章」は
私にとってはジャーナリングですが、
彼女の本を読んだことで、私のいつもの
ジャーナリングも、より深い「自分との対話」になるヒントを
受け取ることもできました。
「誰にも読ませない文章」を書くことは、
ただの独り言ではない、
深い、深い、自分との対話になる。
私たちは書くことで「ふたり」になり、
読まれることで「ひとり」になる。
そして他の「ひとり」と出会い、
以前よりもずっと豊かな「ひとり」に変わっていく。
この土間さんの言葉の意味をもっと知りたいと思った方は、
ぜひこの本を読んでみてください。
「書く」ということだけでなく、
自分についての「ほんとうのこと」を
もっと深く自分で理解するためのヒントもたくさん散りばめられています。
私にとっては、
ハイヤーセルフとの対話へと
つながる道筋が書かれている本だとも
強く感じました。
最後に、
久しぶりに本屋さんで、
購入した本をカバーで包んでいただくことにワクワクして、
おまけにつけてくださった”しおり”にも癒された、
とても豊かな出会いの連続の日でした。
(足の裏が光っている人に出会ったのも同じ日)





